プライベート 旅行

黒船来航も経験!知られざる沖縄の歴史(近世編)

2019年7月10日

こんにちは!トリ女のマミです。

 

今回は「黒船来航も経験!知られざる沖縄の歴史(近世編)」と題し、意外と知られていない沖縄(琉球)の歴史を、特に琉球王国が沖縄県になるまでの、豊臣秀吉時代(16世紀)~明治維新(19世紀)までを一緒に学んでいきましょう。

 

黒船来航で有名なペリー提督、実は浦賀に行く前琉球王国(現:沖縄県)に立ち寄っていた、など高校の教科書ではあまり触れない内容をご紹介します。

 

 

はじめに

今週海の日3連休にあわせて、沖縄旅行に出かけるトリ夫婦。

 

旅行中いつも思うのは、事前に歴史を勉強しておけばよかった。

 

歴史的背景を理解しておくと、建物や遺跡をより深く鑑賞できるだろうなーと。

 

そこで今回、琉球・沖縄の歴史を先史時代~戦後まで完全網羅する『教養講座 琉球沖縄史』(新城 俊昭著、 編集工房 東洋企画、2014年)をもとに、琉球王国が沖縄県になるまでの近世(15世紀~19世紀の400年)に焦点をあてて、歴史を一緒に勉強していきたいと思います。

 

 

琉球王国成立から薩摩藩に組み込まれるまで(15世紀~17世紀)

  • 15世紀~16世紀(日本:室町時代)

1429年尚巴志しょうはしが琉球を統一して琉球王国を形成。その後首里城を整備・拡充し、中国を始め日本・東南アジア諸国との貿易をさかんに行う。

            

                 尚巴志しょうはし国王

 

特に中国(明)とは14世紀以前から交易があり、定期的に貢ぎ物をおさめることで、中国皇帝から琉球の王である承認を得ていた。つまり、琉球の宗主国は中国(明)

 

この中国皇帝の権威を背景に、14世紀末~16世紀半ばまで、琉球は海洋大国として、東南アジアで仕入れた商品を中国、日本、朝鮮で販売することで大きな利益を上げた。

 

たとえば、琉球から日本への輸出品は、中国産の生糸、絹織物、南方産の皮革・香料・薬種などで、日本からは日本刀・漆・扇・屏風・銅などを輸入し、中国の貢ぎ物にしていた。

 

しかし、ポルトガルやスペインがアジア海域に進出し始める16世紀後半以降、国際競争を乗り切る力のない琉球は、経済的に衰退していく。

 

  • 16世紀(日本:豊臣時代)

1591年、豊臣秀吉の朝鮮出兵をサポートすべく、九州の島津氏が琉球に対し兵糧米などの援助を要請。その際「中国派兵については外国に知られないように」という内容あり。

 

当時財政がひっ迫していた琉球は窮地に立たされる。経済的に困難なだけでなく、秀吉のサポートは宗主国である中国(明)を裏切る行為である。日琉関係を考慮した琉球王国は、結局要請の半分を島津氏に提供した。

 

  • 17世紀(日本:徳川時代)

日明貿易再開をもくろんだ徳川家康は、琉球を幕府に従属させようと考えるも、中国(明)を宗主国とする琉球は一向に従う様子がないため、九州を支配する島津氏に催促する。

 

一方島津氏は、関ヶ原の戦いで一時西軍に加担していたこともあり、徳川家からの信頼回復のため、なんとしても琉球に幕府への忠誠を誓わせたかった。

 

そんな背景から1609年、島津氏は軍を率いて琉球に攻め入り、当時の琉球国王 尚寧しょうねいは開城を余儀なくされる。首里城を占拠した薩摩郡は城内の貴重な品々を没収。その結果、島津氏は家康から琉球支配権を与えられる

 

結局、琉球支配の目的だった日明貿易再開は実現しなかったが、幕府が1639年鎖国政策をとることで、明との国交回復する目的が消滅。

 

一方琉球王国は島津氏の支配下におかれるも、中国への忠誠は変えず。明が衰退・清が勃興した1663年、当時の国王尚質しょうしつが、清朝皇帝から国王の承認をもらい、服従を誓っている

ペリー、琉球にきたる(黒船来航)

  • 黒船来航

1853年、ペリー提督は幕府(日本)との交渉前に琉球に来航した。琉球が日本の支配下にあることを知っており、日本との交渉が決裂した場合に琉球を占領する計画をたてていた。

ペリーは約200人の兵隊や軍楽隊を率いて首里城を訪問。英語が堪能な通訳者板良敷いたらしき親雲上ペーチン(牧氏朝忠)を介して琉球王国の王府と交流した。

 

下記2作品は、ペリーが首里城を訪問した時のようすを描いている(出典:首里城公園公式HPhttp://oki-park.jp/shurijo/about/3798/3835)。

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そして翌年の1月、幕府(日本)が日米和親条約を結び、同年6月に琉球王国は琉米条約を米国と締結、オランダ・フランスとも同様の条約を結んだ

琉球から沖縄県へ

  • 琉球王国から琉球藩へ

明治時代に入り、1871年に廃藩置県が実施されると、琉球は一時的に鹿児島県の管轄下におかれた。その翌年琉球が使節を送ると、明治天皇は当時の国王尚泰しょうたい琉球藩の王と認め、琉球藩を政府の直轄領とした。

 

前年に廃藩置県を実施したにもかかわらず、あえて琉球を「藩」としたのは、琉球と清朝の強い反発を防ぐためだった。琉球を日本国内の藩に位置づけてから、廃藩置県(廃琉置県)で県政へ移行させるという段階をふまえて、王国の解体を画策していたのである。

 

  • 琉球藩から沖縄県へ

1875年、明治政府は琉球併合へ動き始め、琉球藩に対し「中国との関係をいっさい断つこと」を含めた命令を言いわたした。

 

琉球藩から救援を求められた清国は、アメリカ、フランス、オランダに働きかけながら明治政府にはげしく抗議したものの、なんら成果を得ることはできなかった。

 

この過程で、説得による琉球併合が困難と知った明治政府は、藩王の逮捕を含めた武力を使用した処分案を決定。

 

1879年琉球処分が実行され、政府は琉球藩を廃し沖縄県を設置する廃藩置県を通達こうして長い歴史をもつ琉球王国は終わりをつげた(沖縄県をめぐる清国との領有権問題は、1894年の日清戦争に日本が勝利したことで解決)。

「おきなわ」が意味するもの

明治政府が琉球併合の際、琉球県ではなく沖縄県としたのは、琉球の呼び名が歴史的に中国に属する地域を意味していたためである。

 

逆に戦後、沖縄に設置された中央政府が「琉球政府」だったのは、地理的理由(琉球列島に位置していた)からだが、本土との分断政策をとる米国政府にとっては、沖縄を日本から切り離すためにも都合のよい名称だった。米軍支配時代、琉球大学(1950年設立)、琉球銀行など琉球のついた名前が多くあらわれた。

 

ちなみに「沖縄」という名称は、古くから沖縄の人々が自ら住む沖縄島をさすウチナーという言葉からきており、文献では『平家物語』にはじめて「おきなわ」の表現がもちいられた。また、「沖縄」という文字の表記は、新井白石が『南島志』で「沖縄」という字をあててから、一般的に使用されるようになったといわれている。

おわりに

皆さま、いかがでしたか?

 

ちょっとマニアック、でも意外に面白い・教養がつく(かもしれない)沖縄の歴史を、特に近世に焦点あててご紹介しました。

 

皆さまの沖縄旅行が、一段と楽しくなりますように!

 

最後に今回参考にさせていただいた本を再度ご紹介。

 

高校時代に使った歴史の資料集サイズで、先史時代~戦後までの沖縄の歴史を約400ページにわたって網羅的に収めた一冊。

 

通訳案内士資格取得を目指す方には、情報量too muchですが、沖縄の通訳案内士としてご活躍されたい方には是非読んでいただきたいです。

 

『教養講座 琉球沖縄史』(新城 俊昭著、 編集工房 東洋企画、2014年)

 

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  • この記事を書いた人

マミ@日英中トリリンガル

中国語キャリア模索中のアラサー駆け出し日英通訳者。超論理思考の夫に日々脳トレしてもらう、非キラキラ系コンサル妻。2020年1月現在妊娠中&同年春に第1子出産予定。

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