トリ女道~トリリンガル女子のキャリアブログ~

日英通訳者の私が+αで中国語のキャリアを模索します

『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』にみる字幕翻訳の世界

こんにちは!トリ女のマミです。

 

今回は「『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』にみる字幕翻訳の世界」と題して、字幕翻訳家太田直子氏の著書『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書、2007)をベースに、知る人ぞ知る字幕翻訳の世界を一緒に垣間見ていきたいと思います。

 

 

 

はじめに

言語含めて異文化に興味を持つきっかけが、外国映画だった方も多いのではないでしょうか。

 

もちろんトリ女もそのうちの一人です。

 

中学・高校時代、特に年齢・性別関係なく自分の意見を言う欧米映画の登場人物に憧れ、英語に意欲的に勉強したのがきっかけで、東外大英米科に入学、その後回り道しながらも現在駆け出し通訳者をしています。

 

そこで本記事では、こんなに長い間お世話になってきた(今もお世話になってます)映画字幕、その世界について、毒舌かつユーモアあふれる、字幕翻訳会の米原万里、太田直子氏の著書『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』をご紹介しながら、知られざる字幕翻訳の世界を一緒に見ていきましょう。

 

著書の引用多めになりますが(あれっ、いつも?)、その卓越したユーモラスな文章に魅せられますよ。

 

字幕翻訳の歴史と字幕翻訳プロセス

まずは字幕翻訳の基礎固めとして、その歴史と翻訳プロセスからご紹介。

 

  • 歴史

字幕に句読点がないのはなぜだろう、と太田氏が考えをめぐらす最中に、字幕翻訳の歴史を振り返る。

 

 本邦初字幕は、すでに書いたように昭和六(一九三一)年日本公開の米国映画『モロッコ』当時はまだ日本で字幕を入れることができず、田村幸彦さんという人がわざわざ米国に渡り大変な苦労をして、初めての日本語字幕をつくりあげた。
 こうした字幕史は、田村さんの「後輩」にあたり、われわれが「字幕の父」と仰ぐ清水俊二さんの著書で知ることができる。清水さんはこう書いている。「私たちはいまでも田村さんが決めた日本語スーパー字幕のつくり方にしたがって字幕をつくっている」(『映画字幕の作り方教えます』文春文庫、一九八八年)
(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』P57-58)

 

結局明確な答えは見つからなかったが、「限られた字数(せりふの秒数)の中に、なるべく多くの情報を」(p59)入れるため、句点が使われなかったのではないかと結論付けていた。

 

  • 翻訳プロセス 

とにかく締め切りが厳しく、結婚が難しいとのこと(確か映画字幕会の大御所も、独身貴族だったような・・・)。

 

そこで、翻訳者はビデオテープと原語台本を受け取ると、まず台本にせりふごとの区切りマークを入れ、それに通し番号をふって、字幕制作会社に渡す。すると会社の専門スタッフが専門マシンでせりふの長さを一つずつ測り、リストにしてくれる。数字がずらずら並んだこのリストを受け取って初めて、字幕翻訳の開始となる。(途中略)

こうして一週間ほどで一作品の字幕原稿が出来上がる

たった一週間で?

と驚かれるかもしれないが、一週間あればいいほうで、ときには三~四日でやってしまうこともある。字幕翻訳は、字数制限も厳しいが、それに劣らず時間制限(締め切り)もハードなのだ。

(途中略)家事などは当然のように後回しとなって、ゴミはたまるわホコリは積もるわ書類と資料とビデオテープの山で足の踏み場もないわ……、女性の字幕翻訳者に「独身・子なし」が多いのも自然の成り行きだろう

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p23-24)

 

また、氏は中国映画『初恋のきた道』(一九九九年・中、監督チャン・イーモウ)など非英語圏の映画字幕も担当している。

 

 

この場合の字幕翻訳は下記3方法のいづれかになる。

 

その一。非英語圏の映画にはたいてい英訳台本がついてくるので、その英語だけを頼りに翻訳し、字幕をつくってしまう。(途中略)

その二。その一と同じように英訳台本からとりあえず字幕をつくり、さらにその言語の専門家に監修(チェック)をしてもらう。この方法が現実には一番多い。

その三。これが最も良心的で、字幕やにとってもありがたく、けれども時間とカネが一番かかる方法。まず、その言語の専門家に翻訳(直訳)をお願いする。しかし出来上がってきた原稿そのままでは文書が長すぎるので、字幕屋が読み切れる字数に要約する。

要約する過程で字幕屋の独断と偏見が入るので、もう一度専門家に字幕原稿を戻してチェックしてもらい、表現の齟齬がないか意見を求める。(途中略)

これが理想的なのだが、なかなかかなわない。なにしろこの方法をきまじめにやっていたら、一作品の字幕に何か月もかかりそうだ。

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p86-88)

字幕翻訳特有の困難

通訳者にはない、字幕翻訳特有の苦労を2つ下記に記載した。

  • 口合わせ

  しゃべっている人物が後ろ姿だったり画面の外にいる場合はいいのだが、はっきりと口の動きが見えているときは、できるだけそれに合わせた日本語にする必要がある

 たとえば、主人公が大声で「NO!(ノー!)」と叫んでいるとしよう。

 口の形は「お」になっている。これに「よせ!」という吹き替えのセリフをあてたら、最後の口の形は「え」。「だめだ!」だと「あ」。どちらもだめだ。見ている者の目に違和感が生じる。そこで「やめろ!」を選択する。

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p29)

 

  • 登場人物の一人称

通訳者は日本語の一人称を「私(わたし)」で訳せるから助かった。。。

 

 字幕をつくる際にまず決定しなければならないのが登場人物の一人称だ。(途中略)

 例外的なものはさておき、男性の主要登場人物に「私・僕・おれ」のどれを割り振るかでよく悩む。なにしろ、英語の「I(わたし)」に代表されるように、たいていの言語で一人称単数(主格)は一種類しかない。(途中略)

 だったら原語に忠実に全部「私」でいいではないか、と思いはするが、そうもいかない。八歳の少年に「私はお腹へった」と言わせるわけにいかないし、腕の刺青も禍々(まがまが)しい半裸の荒くれ男が相手をぶん殴りながら「私をナメんじゃねえ!」とわめいたら、なんとはなしにマヌケである。

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p95)

 

ちなみに2016年公開の大ヒット日本映画『君の名は。』(日本、監督新海誠)に英語字幕がついたとき、ヒロインの三葉(女性)が主人公の瀧(男性)に身体が入れ替わって、一人称に悩むシーンでは、下記のように英訳(そのまま?)されています(のいのい様、貴重な資料使用させていただきました)。

 

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通訳と同じ困難

つぎに、通訳者と同じ苦労を2つ挙げてみた。

 

社内通訳者トリ女には「用語規制」はないものの、放送通訳者はこの規制に大変苦労されているという話は聞く。

 

  •  用語規制

 もちろん字幕屋も、ひよってばかりではない。たまには窮鼠となって猫やコアラやライオンやドーモ君を噛む。これは以前にもエッセイで書いたエピソードだが、ドーモ君の本拠地である某公共放送で放映予定だった『アイス・ストーム』(一九九七年・米、監督アン・リー)に字幕をつけたときのこと。
 せりふの中にドストエフスキーの長編小説『白痴』という題名が出てきた。ずばりA級の禁止用語。もちろん昔からある定訳中の定訳題名ではある。まさかこれを言い換えろなどといわれはすまい、と思う反面、不安もチョモランマ級にそびえ立つ。
なにしろ、かの放送局は飛び抜けて規制がきつい。差別語や卑語だけでなく、「公共」ゆえに商品名さえだめなのだ。「ハーレーダビットソン」を「バイクの神様」に変えられたときは、あまりのことに笑いが止まらなかった。(途中略)
 ともあれ、「やはり妥協できない」という結論に達し、字幕制作会社の担当者に電話で告げた。
この『白痴』という小説名は絶対に言い換えないでください。もし変えるのならこの仕事は降ります。ほかの人に頼んで、一から翻訳し直してください。もちろん今日までの作業のギャラは一切いただきません。
 結局『白痴』を字幕で出すのはOKとなり、ほっとした。

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p122-124)

 

  •  新人が育ちにくい労働環境

経費削減の対象になりやすい通訳・翻訳業。

 

新人(駆け出し)がある程度の収入得ながら育ててもらえる環境は、どこもなかなか難しいようだ。

 そういう制作会社も、配給会社と同様やはり人を育てていない。安さだけを求め、必要なカネをかけていない現場では、品質は落ちるばかりだ。少しの揺れで崩壊する。
 何年か前、わたしが講師を務めた字幕講座にすばらしく優秀な受講生がいた。この人ならすぐにも仕事ができると思い、ある制作会社に紹介したのだが、甘かった。みごと使い捨てにされたしまったのだ。
 優秀できまじめなので仕事は次々にきたらしい。ところが会社側に、その人を大きく育てるとか政党に評価するという発想はなかった。「早い安いうまい」で、ラッキーとばかり便利に酷使するのみ。しかも翻訳料は、近所のコンビニで時給八百円のアルバイトをしたほうがよほどましだと思えるような金額だったらしい。細かくアフターケアをしなかったわたしの罪でもある。
「もうこれ以上は身が持たないので、せっかく紹介していただいたのですが字幕の仕事はやめます」と電話で報告を受けたときはショックだった。あわてて、「もっとましな仕事を紹介したらやる?」と言ってみたが、すでにその人は身も心もぼろぼろで、「ただもう、休みたいので……」と言うばかり。そして去っていった。痛恨の経験である。

(『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』p198)

おわりに

皆さま、いかがでしたか?

 

今後字幕つき映画を見るときは、映画の内容だけでなく、字幕を味わう楽しみができたのではないでしょうか。

 

それにしても非常に残念なのは、「字幕翻訳会の米原万里」太田直子氏も2016年に50代の若さで鬼籍に入られている。

 

卓越した言語能力とユーモアのセンスを備えた米原万里氏や太田直子氏のような通訳者・翻訳者が、今後誕生することを期待したい。

 

太田直子氏著『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』をご紹介しました。

 

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